目次
血糖値管理で大失敗!!
―低血糖の怖さ―
40代半ばで糖尿病と診断されながら、痛くも辛くもないので真剣に向き合うことができず、わずか1年ほどで通院をやめてしまった私…。
その後20年以上、食事にも気をつけないまま運動もほとんどせずに過ごし、69歳の年末に肺炎で人生初の入院をしたときには、HbA1cが10.5まで上がっていました!
(※一般的に、6.2未満が健康とされる)
それをきっかけにインスリン治療を始め、現在3年目。HbA1cは7.1まで下がり、医師からも「年齢を考えれば、けっして悪くない」と言ってもらえるほどには、血糖値を自己管理できるようになりました。
糖尿病の血糖値管理は、食事の糖質量による血糖値の上がり方を予測し、それに見合う量のインスリンを注射するという、簡単な算数の問題です。
私の場合は、糖質控えめの宅配冷凍弁当を中心にすることで、比較的うまくコントロールできています。

とはいえ、食後の血糖値はその日の体調や運動量によって大きく狂うことがあります。
そして、インスリンを多く打ちすぎると、今度は低血糖に。
以前、血糖値が70を下回ったときには、動悸、冷や汗、顔面蒼白……座っているのもつらい状態になりました…。
その経験から、高血糖よりも、低血糖のほうが緊急に対応しないと危ないことを知りました。
そんな私が先日、大失敗をやらかしました…。
遅い昼食のあと、血糖値が300を超える勢いで急上昇するのを見て
「これはまずい!」と追加のインスリンを注射しました。
ところが、その後どこまで抑えることができたのかを確認しないまま、用事を思い出し、自宅から駅までの片道約15分を往復歩いたんです。
すでに炎天下の時間帯ではないものの、かなり蒸し暑く、途中からフラフラ。
それでも何とか帰宅してLibreを確認すると…血糖値が、なんと「55」!!
暑さのせいで足元はふらつくものの、頭はしっかりしていたので、まさかここまで低いとは夢にも思いませんでした。(Libre:腕に付ける血糖値常時モニター機器)
「よくもまあ、行き倒れにならずに帰ってこれたものだ……」
その後は、甘いジュースやラムネ菓子など、とにかく糖質を補給!
結局、1時間ほど掛かって、ようやく71まで回復し、ホッとしたのも束の間、どっと疲れが出て、そのまま2時間ほど爆睡してしまいました。
今回の失敗は明らかです。
血糖値が高く、さらに上がっていくことに焦って追加のインスリンを打ち、その後の変化を確認せずに外出してしまったこと。※徒歩30分は、私にはなかなかの運動量!
血糖値を下げることばかり考えて、下がりすぎる危険を忘れていたのです。
糖尿病は、高血糖が長く続くことが怖い。
20年以上放置した私には、足の裏のしびれや、網膜の血管からの出血もあります。
だからこそ、今は真面目に管理しています。
しかし今回、改めて思い知らされました。
血糖値は、高いほど危険!という単純なものではなく、
むしろ下がりすぎると最悪の場合、意識を失うなど、別の危険もあるのです。
今回、自宅まで無事に帰れたのは本当に幸運だったと思います。
糖尿病と真面目に向き合いはじめておよそ3年。
血糖値管理にもだいぶ慣れてきた。と思っていた矢先の大失敗でした…。
こうして時々大失敗をやらかしながら、自分の身体の取扱説明書を更新中なのです(笑)
ソロキャンプの愉しみ
「ソロキャンプ」といえば、芸人ヒロシを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
今やソロキャンプの教祖的存在。BSで番組を持つほどの人気です。
私も、そんなヒロシのキャンプ番組を観たことがきっかけで、「ソロキャンプって、ちょっと面白そうだな」と憧れた一人です。
ただし――。
実は当初から、彼のキャンプスタイルには、あまりなじめませんでした。
テントの前に胡座をかいて座り、焚き火を弄りながら、煙そうな顔をしているヒロシ。
……あれには、1ミリも憧れませんでした(笑)。
でも、今になって考えてみると、これこそがソロキャンプの面白さなのかもしれません。
ソロキャンプには、「こうしなければならない」という決まりがありません。
一人だから、自分の好きなスタイルで、好きなように過ごせばいい。
私の場合は、「地面に胡座」より「少し高い背もたれのある椅子」。
「手間のかかる焚き火料理」より「ガスバーナーで簡単調理」。
「無骨さ」より「ほどよい快適さ」。
そんなキャンプのほうが性に合っています。

そして今年7月、そんな私に新しい発見がありました。
これまで真夏のキャンプは避けていたけれど、初めて「高原キャンプ」を体験してみたのです。
さすがに昼間は、テントを設営するだけでもう汗だく。
ところが夕方になると、高原ならではの心地よい風が吹いてきて、
日が傾くにつれて気温も下がり、昼間の暑さが嘘のように和らいでいきます。
「真夏のキャンプは、高原で決まり!」
場所を変えただけで、「真夏のキャンプ」がまったく別物になりました。
以前、「一人で楽しめる人」について書かれた記事を読んで、なるほどと思ったことがあります。
一人で楽しめる人には、「自律性」があるというのです。
誰かに楽しませてもらうのではなく、自分で「何をして楽しむか」を決められる。
これは、ソロキャンプにもそのまま当てはまります。
「今は何もしないで、昼寝でも・・・」
「ちょっと散歩してみようか」
「温泉に行って汗を流そう」
「コーヒーでも飲んでまったりと」
……全部、自分の勝手です。
そして、誰にも文句を言われない(笑)。
考えてみれば、私は一人遊びが好きな子供でした。
だから私にとってソロキャンプとは、自然の中で、自分の好きなように過ごすことなのです。
ひとりなら、自分が快適だと思う方法でいい。
そんなわけで、私のキャンプ道具も少しずつ快適装備へと進化しています。
地面に座らなくてもいいように座面の高い椅子に座り、寝るときにはコットを使う。
もはや「不便を楽しむ」というキャンプの精神からは、少し離れてきたような気もしますが……(笑)。でも、それでいいのだと思います。
一人だからこそ、自分に合った楽しみ方を見つけられる。
ヒロシのキャンプを見て「ソロキャンプっていいな」と思った私が、
「でも、胡座で座るのはしんどい…」
「真夏は暑いから嫌だし…、冬も寒くて眠れない…」
けれど、自分なりの過ごし方で楽しむことができる。
そして、ソロキャンプでは、何もしないことこそが、いちばんの愉しみです。
私にとってソロキャンプは単なるアウトドアの趣味ではなく、
自分自身をリセットする小旅行なのです。
さて、次のキャンプでは、どんな「自分流」が見つかるでしょう。
……とりあえず、温泉のあるキャンプ場は、イイ!!!
そして、煙たい焚き火は、いらない(笑)。
せめて80歳までは、歌っていたい
♪趣味のギター弾き語り
今回は私(シロクマ)の趣味についての話です。
古希を過ぎた今も、私には小さな楽しみがあります。時々、ライブバーのステージでギターを弾きながら歌うことです。
高校生の頃には、同級生とフォークグループを結成していましたが、社会人になり仕事に追われ、永らく中断していた趣味の音楽を再開したのは、私の場合、還暦直前(!)でした。
それから12年…、私にとってギターの弾き語りとは、いわば「セルフのカラオケ」。
好きな歌を自分で伴奏しながら歌うんです。
華麗な演奏ができるわけじゃありませんし、あくまで歌が主役です。そしてたいていの場合、純粋な観客はいません。数組の演奏者が順にステージに上がり、そしてまた観客なんです。
そしてライブバーでは、もう一つ嬉しいことがあります。
もともと、人付き合いがあまり得意ではない私ですが、同じように歌や音楽が好きな人とは、不思議なくらい自然に話せるんです。
「あの曲、素敵でしたよ!」なんてお互いに褒めあったりしたら、もう最高の気分です。
そして楽しいのが、少しずつでもレパートリーを増やすこと。
…と言っても、歳甲斐なく今のヒット曲を追いかけているわけではありません(笑)
私が掘り起こしているのは主に、70年代、80年代に聴いていた懐かしい洋楽です。
当時は歌詞の意味もろくに分からず聴いていた曲が、今になって、
「あ、こんな素敵なことを歌ってたんだ!」
と気づいて、あらためて好きになることがあります。
そんな曲を見つけては、歌詞の意味をよく理解して、自分のレパートリーに加えていく。
それは青春時代によく聴いていた音楽の中から、今の自分のための宝物を掘り出すような楽しい作業なのです。
思い返せば高校生だった頃、私は井上陽水のステージでの様子に、憧れていました。
デビューしたばかりの頃の彼は、ぼそぼそと自信なさげに語りながら、
いざ歌い始めると圧倒的な歌唱力で空気が一変します。
…あんな風に自分を表現してみたい!…と思ったんです。
そしてもうひとりが矢沢永吉=永ちゃんです。
キャロルの頃からではなくソロになってからの、にわかファンですが…。
76歳になった今もステージに立てば、あの情熱的な歌声!
年齢を重ねても情熱的な歌唱力を維持し続ける姿に惹かれます。
そして、ステージに立つと、もう一つ欲が出ます。
できることなら、曲紹介などの語りで笑いを取りたい。
これはもう、大阪人の性分でしょうか(笑)
爆笑でなくても、客席から「クスッ」と聞こえれば、それで嬉しい。
おしゃべりで、できればちょっと笑いを取って、そして真面目に歌う。
…そんなステージができれば最高だと思っています。
若い頃のように声は出ないし、歌詞を間違えることもある…。
それでも、好きな曲を練習して、ステージで披露し合う同じ趣味の仲間と話す。
そんなことを楽しみながら、せめて80歳くらいまでは歌い続けていきたい。
晩年の過ごし方としては、なかなか悪くないと思うのです。
あなたはどんな趣味をお持ちですか?
人は死んだらどうなるの?
~「一滴の水」が、大海へ還るとき ~
先日、ネット上の動画で、
「人は、死んだらどうなるのですか?」
と師匠に尋ねる男の話を見ました。
師は「いい質問だ……」と答え、
こんな趣旨の話をします。
「人間は、一滴の水のようなもの。死んだら元の河へ還り、やがて大海とひとつになる。
それは、ひとりで長い旅をしてきた者が、やっと家に帰り、安らぎを得るようなものだ」
…つまり、死とは「消滅」することではなく、大きな安らぎへ還っていくことだと。
それを聞いて私は、昔大好きだったアメリカのSFドラマ、『スター・トレック / ディープ・スペース・ナイン(DS9)』を思い出しました。
そこに登場する「オドー」は、液体状の知的生命体です。普段は人間の姿を真似て宇宙ステーションで暮らしていますが、本来は、同じ種族どうしが融合して一つの大きな存在として生きているんです。
つまりオドーは、
「大きな水から離れた一滴が、ひとつの個として長い旅をし、最後にはまた大きな水へ還る」という、まさにそんな存在だったんです。
若いころによくこのドラマを観ていた私は、ただ「不思議な設定の宇宙人だな…」
くらいにしか感じていませんでしたが、今、あらためて
「一滴の水が、河へ還り、やがて大海と同化しても、けして無くなるわけじゃない」
という話を聞いて
あぁ…オドーとはそんな一滴の水だったのか、
それって私たち人間だって同じかも…と、気づいたんです。
そういえば昔、五木寛之さんの『大河の一滴』も読んだことがありますが、
当時の私には少し難しく、今一つ理解できませんでした…。
それが何十年も経った今、大好きだった「宇宙SFドラマ」のキャラクターが、その思想についての理解を深めるきっかけになるとは――。
そして、自分自身が「死」というものを、以前より現実的に考える年齢になったせいでしょうか。
「一滴の水が大海へ還る」
という思想が腑に落ちて、そして深く心に響きます。
死は「自分という存在の終わり」ではあるけれど、
「長い旅をしてきた一滴が、最後にひとつの大きな水へと還ること」
長い旅の終わりの故郷への帰還なのかもしれません。
昔はただの娯楽SFだと思って観ていたドラマを
老いを嫌でも実感する年齢になって、思いがけず自分自身の物語として感じ始める…。
アメリカのTVドラマの中に、難解だった『大河の一滴』という思想をそのまま体現したキャラクターが存在して、数十年後の私に理解を促してくれたのです。
このお話、あなたはどう思いましたか?
[951323]supplies professional anti-violence equipments and solutions for the whole world with strong and perfect production capacity. anti-violence.org